海辺の墓地

週末を利用して実家のある広島へ。
実家に帰ったときに、できるだけ時間を見つけていく場所がある。瀬戸内海を望む山の中腹にある祖父の墓は、私の大好きな場所だ。
学生時代に愛読していたポール・ヴァレリーに「海辺の墓地」という詩がある。それはフランスのセットという街の墓地なのだが、ここに来るたびに、その詩を思い出す。
16日は祖母の80歳の誕生日だった。
わが家で80歳の誕生日を迎えたのは、私の知る限り祖母が始めてだ。祖母が54歳の時に祖父が60歳で亡くなり、彼女は未亡人として26年も生きていることになる。
誕生日には、小学校1年生を筆頭に集まったひ孫たちから、たくさんの歌のプレゼント。
私を筆頭に孫が13人、そして、ひ孫が15人(来年には+3人の予定!)という家の最長老。それはそれで幸せかもしれない。
昨日は、珍しく祖母が、父の子どものころの話をした。
祖父はわが子よりも自分の両親を大切にする人だったらしく、祖父のために炊いたご飯のお釜の底のおこげを子どもたち(=父たち)に食べさせたくて、わざとおこげをたくさん作った・・・なんて話だ。
私たちは、小遣いが足りなくなると祖母のところに駆け込んだ。モノもあり、十分な教育も受け、満たされた生活しか知らない私たち。その上でまだお小遣いをねだりにくる私たちをどういう思いで見ていたのだろうか。
いまどき80歳では、長生きという感じがしない。80歳まで生きると考えると、私はまだ人生の折り返し地点にさえ、達していないことになる。
祖母にとって仕事を持ち、東京で生活している私は自慢の孫らしい。
母にとっては、かわいい子どもがいるのに、夜遅くまで仕事をしている私は、「我慢をしらない」と映るようだ。確かにやりたいことは納得いくまでしてしまう私は、母のいう「我慢」は知らないのかもしれない。
私の実家では、祖母の誕生日はもちろん、七五三といったような家族のイベントでさえ、父親は不在なのだ。父はもちろん、今回はツグのパパも香港出張中。一緒に七五三をした健ちゃんのパパも接待ゴルフという有様(苦笑)。
祖父も父も仕事一筋で、家族のイベントにいたことがなかったのが原因のようだ。
これだけ時代が変わっているのだから、せめて子どもの七五三のときくらい家族そろってお祝いすればいいのにと思うのだが・・・(苦笑)
私自身は、その反動か、家族のイベントは大切にしているほうだと思う。
今回の祖母の誕生日しかり、一昨年の父の還暦のお祝いしかり。
これだけやっていても、まだ足りない気がするのはなぜだろうか?
郷土を愛し、家族を愛していた祖父は、夢の途中でその人生を終えた。
その夢を託された父は、祖父の夢をひとつずつ実現していった。祖父が亡くなった歳である還暦を越えた今、父はやっと父自身の夢を描きはじめているような気がする。
夢の断片にわずかに家族がいるような、そんな家だったのかもしれない。
海辺の墓地では、感傷と見果てぬ夢が交錯する。そこに流れる時間も空気も、今の私には非日常だ。時々戻りたくなる、でも長くいると戻れなくなる・・・そういう場所なのだ。

海辺の墓地」への4件のフィードバック

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  3. あのエリアは私にとってはほとんど未体験ゾーンですね。
    鞆を超える?ことは無かったし、鞆に行くときに松永方面から入るときに通過した程度です。
    今度余裕があったら行ってみたいと思います。

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