web深化論・序章

昨年春にwebの「深化」をテーマにエントリーを2本書きました。
・これからは、Web深化論(from minako’s blog 2008.04.08)
・ウェブ深化論〜企業サイド編(from minako’s blog 2008.04.10)
このエントリーを書く前のメモを偶然発見したので、少し加筆して、ブログに公開しておきます。
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インターネットの登場で、20世紀までの分断された世界が、あっという間につながってしまった。時間も、距離も、そして言葉の壁さえも越えようとしている。
ネット上で流れる膨大な情報は、瞬時に世界を駆け巡り、そこから無限に派生し続ける。同時に、無限に蓄積される。水面を広がる一点の水滴が無限に何層にも重なり合う複雑な世界。広がり続け、そして、何層にも、何層にも、地層のように重なっていく。幾重にも重なった情報は、しかし自由自在にアクセス可能だ。時間を越え、時代を超えて流通し続ける情報。無名の一個人の声が、時代を超えてよみがえることもあるだろう。
これまで歴史に名を残す人は、ほんの一握りの人に限られていた。それは固定化されたメディアと分断された時代〜土地や思想、そして政治など〜においては、歴史書の中の1ページとしてのものだった。
インターネットの世紀では、個人の生きている営みが、本人だけでなく、その人を取り巻くリアルの人間関係はもちろん、ネット上での活動とその関係において、記録され続ける。そして、それは地層に埋もれる化石としてではなく、いつまでも呼吸し続けるものだ。
生きた証が記録されると同時に、実際の活動ではなく、ネットで展開されるあらゆる知の営みも保存され続ける。記録された時点で仮説であったものが検証され、それが展開していくことが、ネット上で、追体験できる。この時間を越えた、そして一人の人間によってだけではなく、時間を越えて多くの人々によって参加され、検証されて、語られ、展開していく知的な作業について、私たちはどのように関わっていくのだろうか。
膨大な情報量の中の、そして未来につながっていく永遠の時間のなかの、一瞬でしかない私自身の生きている時間において。
このインターネットによって生まれる、時間と空間を越えた関係性。未来に出会う人がいるかもしれないという新しい興奮。未来に出会う時代が続くことを前提に、それを願って、まだ始まったばかりのインターネットの世紀を生きている自分。
そういう感覚は、やがて当然のことになってくるだろう。この感覚はインターネットがはじまった「いま」という時代だけのものかもしれないと思うと、また違う興奮が生まれてくる。
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かなりテンションが高かったようで、とっても熱い内容になっています(苦笑)
インターネットに出会って15年。私自身が、いまでもこんなにインターネットに夢中なんだということを改めて感じます。

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