平行線

先日、母が古稀を迎えました。
夫と5人の子どもたち、孫たちに囲まれお祝い会。参加できない孫たちからのメッセージや家族のアルバムを作ってプレゼントとして贈りました。


そのアルバムを作りながら、亡くなった祖母の古稀の誕生日会。そして、二十数年後に迎える古稀の時の自分のことを考えました。子どもの手が離れ、介護をしていた両親がいなくなり、ふっと自分の時間が増えたとき、いろんなものがきっと走馬灯のように、思い出されるんだろうなぁと。
妻として、母として、そして祖母としての幸せな時間と、一人の人間として、人生を振り返ったときの友人たちとの時間・・・。私がアルバムに集めた写真、私の中の母は、母の人生の一部分でしかないことを、改めて感じました。
いつ頃からか、友人たちと母娘の難しさが話題になることが多かったことを思い出します。
いまも、両親の、特に母親の期待通りの娘になれなかったことを申し訳なく思う自分がいます。時代や環境が違ったことはもちろんですが、漠然と娘に期待していた”共感”の共有をしてあげられなかったことが大きかったかもしれません。期待を感じながら、その期待を裏切ることができるほど、私が強かったのかもしれません。
一方で、祖母は、あまりにも違い過ぎて、すべてを受け入れてくれていたように感じます。おばあちゃん子だったのは、その辺もあったのかもしれないですね。娘を持っていないことが、祖母と私の共通だとすれば、娘に対する期待は、永遠に共有されないものなのかもしれません。
ある期間、一定の距離を保った平行線。近くに見えるけど、永遠に交わることのない平行線・・・母娘、あるいは親子とはそういうものなのでしょうね。
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