北上ルートで被災地へ

第1便の物資を被災地に届けるために、東京から空路鹿児島の志布志へ。
悪天候のため、福山港から26時間かかって、貨物船が志布志に到着したのは22時頃。待機していたスタッフがそのまま山下回漕店の倉庫にて、トラックへの積み込みまで一気に完了。


深夜のオフィスで、現地の方々と先発隊から、道路状況や避難所のニーズの報告。コンテナトレーラー3台、トラック3台の計6台で、5方向に向けて、支援物資を届けることに。地域毎に簡潔にまとめてくれていて頭が下がる。
ホテルに入ったのは午前1時を回ってから。翌日の長時間の移動に備えてとにかく休む。
私たちが休んでいる間の午前3時には、志布志の山下回漕店からコンテナトレーラー3台、午前4時には4Tトラック1台が被災地を目指して出発。
翌朝7時45分。山下回漕店での朝礼で、緊急時対応へのお礼と協力要請を。実は、海運事業の九州の最大拠点であるこの山下回漕店を訪れたのは今回が初めて。初対面のスタッフばかりの中、懐かしい方が現地で統括してくださっていることもあり、ほんとうに安心してお願いすることができた。
そして9時過ぎに九州西濃運輸さんのトラックが2台、志布志から出発。
当日は月例の経営会議と取締役会の日でもあった。実は、志布志から熊本の最初の目的地である八代に向う3時間、V-cubeを使った東京、鹿児島、広島の3拠点テレビ会議に参加しながらの移動。
その間に、早朝に出発したコンテナトレーラーが現地に入ったという情報や、福山の物流センターからの連絡なども入ってくる。めまぐるしい情報量に外の風景を見ることも少なかったが、次第に自衛隊の車両が走ったり、土砂崩れがあったりと、被災地の匂いがしてくる。
一緒に志布志を出発したもう1台は熊本市に向い、私たちはまずは八代へ。
移動中も、私の元に入ってくるオンラインでの情報を整理しながら、”必要なものを、必要なところへ”というみなさんの思いを実現するため、刻々と代わる状況に対応する。
当初、物資をお届けする予定だった場所から、お断りのご連絡があり、急遽、第2弾でお届けする予定の場所に変更するなど、計画外の対応も。福山、志布志、そして移動車と連絡をとりながら、判断していく。
私たちの最初の目的地は、八代の桜十字病院。西川理事長に迎えられ、みなさんからお礼の言葉をいただく。
そして、西川さんたちにガイドしてもらい、益城市方面へ移動を開始。地元の人しか知らないような裏道や農道を使って、想定よりもスムーズに移動できた。一方で、被災地に近づくにつれ、道路の亀裂や盛り上がり、そして違う方向に傾いた電柱、ブルーシートのかけられた屋根など、風景が変わってくる。
地震発生から1週間経ったタイミングでの被災地の視察は、正直、堪え難いものがあった。ここで1週間暮らしている人たちの肉体的、精神的疲労が最大化しているのが,一歩足を踏み入れただけでわかる、そんな雰囲気だった。
被害の大きかった益城市では、益城市総合体育館にも立ち寄った。届けられた救援物資が山積みの中,大勢のボランティアスタッフの人たちの姿が見える。同じようにメディアの人たちの姿も・・・。その日の夜のテレビの放送でトラブルがあったことは、あとからFacebookのウォールで知った。
益城市をあとにして熊本市内へ。倒壊した家屋から、活断層がどこにあるか、風景の中ですぐにわかる。そして、家を失った、あるいは余震の不安の続く近隣の被災者を数百人単位で受け入れている桜十字病院熊本へ。被災の状況と同時に、1000人の入院患者ならびに500人のスタッフ、そして受け入れた近隣の方々も含めて、規律を持って対応している様子に驚いた。
スタッフ一人ひとりの被災状況をレベル別に張り出したボード。”見える化”を意識したという壁に掲示された多くの情報。スタッフ同士の声掛け。被災地でありながら、すでに復興に向けて強い意志とリーダーシップが発揮されている状況を目の当たりにした。
桜十字病院で皆さんと一緒に中華丼とお味噌汁の炊き出しの夕食をいただく。緊張が続く中、清潔な場所での温かいご飯が、人々の心を満たしていくのを感じる。
熊本駅でレンタカーを返却し、今度はJRの在来線で博多を目指す。
新幹線なら30分程度のところ、3時間をかけての移動の中で、このブログを書いている。
当初、鹿児島空港に戻って東京に戻るつもりだったのが、博多に出て、そこから福山に戻ることにしたのは、鹿児島到着直後。前日のことなのに、随分前のことのように感じる。
鹿児島着からわずか24時間で、志布志から八代、益城、熊本までの自動車の移動。そして熊本から博多までの電車での移動で、九州をほんとうに北上した1日となった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です