「トロピカルレインボー」のこと

来年の就航にむけ、常石造船の常石工場で建造されている、せとうちクルーズの客船「guntu」。せとうちDMOの1号案件としても注目されています。
常石グループと客船。あまりご存じない方も多いと思いますが、実は、客船事業としては3度目のチャレンジになります。

最初に客船にチャレンジしたのは、先々代のとき。なんと外航船にチャレンジしています。
祖父が挑戦したのは、戦後初の定期外航客船航路として就航した「トロピカルレインボー」(8,841トン)。1973年(昭和48年)7月のことです。
客船といっても貨物も運搬していた“貨客船”で、神原汽船が購入した貨物船を常石造船で改造した船でした。

横浜〜グアム〜ラバウル〜ラエ〜マダン(ニューギニア)〜グアム〜大阪、往復24日間という航路。
この航路、祖父は戦没者の慰霊のために考えたようで、硫黄島沖では慰霊祭を行っていました。供養のため、神勝寺の開山でもある建仁寺管長の竹田益州老師にも乗船していただいたそうです。

「トロピカルレインボー」の完成は5歳のときのことで、祖母と一緒にお茶室のある客船の見学をしたことを覚えているくらいの記憶しかなかったのですが、なんとネット上にその情報を見つけて驚いています。

・トロピカルレインボー 戦後初の定期外国航路の客船

関係者の方でしょうか。本船に乗ったときの内容が書かれてあり、パンフレットなども紹介されています。

この航路は大赤字で1年半ほどで取りやめています。
昭和40年代後半に24日間のお休みを取れる人など少ないですし、当然といえば当然ですね。

祖父は、ラバウルに造船所を造って撤退もしています。そして南米への移民・・・いろいろチャレンジした海外事業ですが、祖父の時代にはそれらが成就することはありませんでした。
祖父の代に蒔いた農業や造船に関する種は、父の代になって形になってきたところです。

しかし、客船については、父の代で「サウンド・オブ・セト」というデイクルーズに挑戦しましたが、成就せず。(これについては、また改めてブログに書きたいと思います・苦笑)

これらの失敗の経験と情熱が、現在へと受け継がれて、三度目の挑戦へとつながっています。

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