豊歳駐日パラグアイ大使のスピーチ

パラグアイ建国206周年記念祝賀会の豊歳駐日パラグアイ大使のスピーチです。
全文かどうかちょっと自身がありませんが(汗)パラグアイの歴史、日本との関係について学ぶことが多かったので、ここで紹介させていただきます。

「はじめに、パラグアイ独立206周年記念ならびにパラグアイ日本人移住80周年記念レセプションへのご列席を賜りまして、皆様に心より感謝申し上げます。

歴史を振り返ってみますと、1811年5月15日、パラグアイは一滴の血も流すことなく独立を成し遂げました。1860年代においては、南米で非常に豊かな国であり、日本が新橋〜横浜間に鉄道を開業するより11年前に、既にパラグアイには鉄道が開業されていました。

しかし不運にも、その後不条理かつ流血を招いた三国同盟戦争に巻き込まれ、ほとんどの成人男性の命が奪われました。残された老人・女性・子どもたちは、国を再建するという巨大な責務を追わざるを得ませんでした。

この歴史が、ローマ法王にして「アメリカ大陸の英雄」と言わしめたパラグアイ女性の勤勉さの源だと言われています。

また、経済面では、パラグアイは近年成長がめざましく、かつ堅調で、隣国だけでなく、日本を含む世界中の多くの投資家や企業家たちの注目を集めています。

2016年のインフレ率は3.9%とマクロ経済は安定しており、外貨準備率が高く、自由な為替市場、制限のない自由な資本の流れ、税負担が低いことからパラグアイは海外投資家にとって優先的な投資先となっており、国内投資も積極的に推進しています。

このうち80の輸出業がオランダ・カステル大統領政権の下、新たに多情したものですが、雇用が増え、多くのパラグアイ国民が恩恵を受けています。

また、労働紛争がなく若い働き手が多く、クリーンで再生可能なエネルギーである水力発電のおかげで、パラグアイは希望や夢が現実となる真の機会にあふれた国となっています。

パラグアイと日本両国の良好な関係の象徴として、昨年日本人コミュニティとパラグアイ社会全体が共同で、パラグアイ日本人移住80周年を盛大に祝ったことをお話したいと思います。昨年9月には眞子内親王が皇室代表としてパラグアイを公式訪問され、記念式典に参加されました。

眞子内親王は一週間の過密スケジュールの中、4日間かけて陸路900キロ以上の距離を移動され、全ての日本人入植地を訪問されるなど、積極的に活動されました。高齢となった移住者ひとりひとりに声を掛けられ、皆さん、感動のあまり涙を流していました。

このように、眞子内親王はすべてのパラグアイ国民から暖かく迎えられ、数え切れないほどの感謝の意を受け、両国の友好関係を、通常の外交手段を超えてさらに深められました。

パラグアイと日本の固い絆は、貿易協定が調印された1919年までさかのぼります。

1936年、81名の日本人が初めて、パラグアイに渡り、首都アスンシオンから132キロ離れたラ・コルメナに移住しました。

移住は第二次世界大戦で一時中断されましたが、1954年に再開しました。
その後もパラグアイ・日本両国政府の支援のもと移住は続けられ、現在では10,000名以上の日本人移住者とその子孫たちが全国各地に居住しています。

日本人移住者とその子孫たちは、勤勉さと正直さで知られ、農業ひいてはパラグアイの発展に多大なる貢献を果たしてきました。

一方、日本政府はこれまでにJICAを通じてパラグアイの経済発展に大きく寄与してきました。特に農業、インフラ整備、保健、教育といった分野での無償資金協力、円借款、技術協力を我々は高く評価し、深く感謝しております。

協力事業においては、民間セクターによる、整備状態が大変良い58代の中古消防車やきれいに修理された220台の子供用中古車椅子の寄贈などもあります。
これらは、日本の海運会社のご好意により日本からパラグアイに無償で輸送されました。

これまでの支援の手を差し伸べてくださった全ての方々に、心より感謝の意を表します。

改めまして、本日はご隣席を賜りありがとうございます。
パーティをお楽しみください。」

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