異質なものとしての自覚をもって

多様性を受け入れるということは、組織やコミュニティにとって不可欠だと思います。
その時に、現在、自分がいる組織やコミュニティは、どのような背景で成り立っているのか。正しく理解できているかどうか。その前提を明確にしておかないと、自分では気づかないうちに、同調圧力をかけている可能性があると思います。

よくあることですが、会議室にいる女性が一人だけの時。
その会議に参加しているメンバーは、「女性の視点を受け入れる」という前提に立っています。

専門性が異なる人たちが集まった場所では、それぞれの専門家の意見を聞くというスタンスで参加していると思います。そこに求められるのは、同調性ではなく、違う視点、意見です。

ところが、同郷であるとか、同窓であるといったような類似点や共通項がある場合、それぞれの多様性を確認する前に、同調性を前提にしたコミュニケーションが始まってしまう・・・そんなことがあるのではないでしょうか。

この場合、相手が感じる同調圧力に対して、参加者は、同調圧力をかけているという自覚がありません。その前提を覆すコミュニケーションをするには相当な労力と覚悟が入ります。
Uターンで地元に帰った時など、この種の同調圧力で苦しむことがあるかもしれません。

例えば、すでに東京での生活が人生の半分を超えている私にとって、自分自身でも説明の難しいストレスが、この種の同調圧力が原因だったと気づきました。
一方で、相手は、同質なものを受け入れているつもりですから、こちらのストレスについては、ほとんどきづきません。

東京に出てきた時に感じた、違和感は、それまでのコミュニティから離れて、新しい場所に入った時に感じた、異質なものとしての自分。
ただ、東京には、そういった異質な人が集まる場所ですから、その種の同調圧力は比較的少ないかも知れません。

異質なものを受け入れる。
異質なものから学ぶ、気づく。

そのコミュニティにおける自分は、なんなのか。
期待されているのは、「調和」ではなく、「異質」なものであること。
自分の価値が、その「特異性」にあるのだということを自覚することから、改めてスタートしようと思います。

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